数々の困難を乗り越えた夜警(レンブラント)

こんにちは!
一社)日本アート教育振興会の河野です。

すっかり東京も寒くなってきました。

公園の木々も色づいてきて、

秋空に紅葉した葉っぱがよく映えてとてもきれいです。

皆さんはレンブラントが描いた「夜警」をご存知ですか?

ピンと来なくても、みたら思い出す方も多いかと思います。

こちらの絵です。

夜警です。

夜のシーンだと思いますよね。

でも実はこれは昼間のシーンなのです。

1642年に完成させたこの集団肖像画には、

もともと題名がありませんでした。

時代を経てニスが黒ずみ絵画全体が暗くなったため、

夜の情景だと誤解され

『夜警 (De Nachtwacht) 』

と呼ばれるようになったのです。

この作品は様々な困難を乗り越え、

現代技術を駆使した修復を経て

30年ぶりに元の姿を取り戻すことが出来ました。

夜警を襲った困難はどのようなものだったのでしょうか。

まずは完成直後。

この作品は集団肖像画として

レンブラントに依頼さたものです。

作品に出てきている、

依頼した多くの隊員たちから不満が噴出します。

それはそうですよね。

集団肖像画であるにも関わらず、

目立つのは中央にいる人物ばかり。

レンブラントはそれまでの記念写真のように描く集団肖像画のセオリーを破り、

芸術性を追求したのです。

作品としては空気感や躍動感を感じられる名作となりました。

しかし私もこの作品の端っこの人間だったら

つまらないと感じたでしょう。

その後も様々な不幸に見舞われます。

まずは

1715年

今まで火縄銃手組合の集会所に飾られていた本作は

アムステルダム市庁舎に移設されます。

なんとこの時、市庁舎の入り口から入れられない。

そんな理由で作品の四方が切り取られてしまいました。

特に左側は大きく削られ、

集団肖像画であるにも関わらず、

二人の男性と少年が切り離されてしまいました。

1911年1月13日、

船会社から解雇された男が腹いせに、刃物で『夜警』に襲いかかりました。

1990年4月6日、

精神病患者によってスプレー状の酸が吹きかけられました。

酸はニス層に浸透しましたが、修復によって『夜警』は元の姿を取り戻しています。

そして第二次世界大戦。

その頃この作品を所持していたアムステルダム国立美術館は

作品を木枠から外し、

丸めて安全な場所に隠しました。

『夜警』をはじめ3万点もの収蔵品を避難させたのです。

レンブラントは

インパストという技法を好んで使い、

絵具を厚く厚く塗り重ねていく技法です。

そんな厚塗りの作品が木枠から外され丸められてしまったら。。。

多くの絵具が剥がれ落ちたことでしょう。

しかし憎むべきは戦争です。

美術館に勤める学芸員たちのおかげで

今のこの世でも実物が残っていることを考えたら

当時の学芸員たちに心からの感謝と拍手を送りたいです。

この作品は大きさも規格外です。

縦3.63メートル、横4.37メートルもの巨大な作品です。

しかし、さすがのレンブラント。

この作品を僅か1年余りで完成させました。

この作品の大きさと密度、制作期間を考えると

レンブラントの圧倒的な技量を感じ取ることが出来ます。

古典絵画は保存も考えられて

制作されていたため、

また各美術館の努力のおかげもあり、

古典絵画も

美術館へ行けば鑑賞することが出来ます。

しかし現代の作品は古典絵画と同じようにとはいきません。

絵具の使い方一つをとっても

保存、保管という枠から大きく飛び出し

新たな道を歩んでいます。

現代につくられた作品はどれだけ後世に残るでしょうか。

本物を感じることは

今後難しくなっていくのかもしれませんね。

本日もありがとうございました。

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